たとえ鬱でも…
2006年 11月 23日
十代の頃から、鬱持ちになりました。
頭でも、理屈でも解っている。
でも、どうする事も出来ずにあがき苦しむ…。
もう大丈夫だと思っても、やって来る鬱。
心は、頭や理屈や方法では、どうする事も出来ません。
何度も神様に祈りました。何故こんな私を前線に立たせるのか、癒してくれと…。
でも…、今も鬱持ちのまま…。
積み重ねられた実際を通して、神様から教えられました。
痛みを、苦しみを、悲しみを知らなければ、ただの詭弁。
きれい事では、誰も救われやしない。
人の心に寄り添う事の本当を知っているのは、それを貰えなかった者…。
イエス様がそうであったように…。
サタンの張る、滅びの罠でさえ、人を一途に愛する神様は、光りの武器へと変えて下さる。
例え鬱でも…。
だから、自分の情熱だけで、人の心と関わりたくない。
だから、心に寄り添うことを一番にしていたい。
肩書きも性別も、関係ない。ましてや私にはいらない。
これからも、その人の持つ、魂の本当を見続けていきたい。
先生などと誰からも呼ばれたくはない。
私はただのキリストの兵士。
前線に立ち、泥まみれになって戦う軍曹であり続けたい。
この身体が終わる瞬間まで…。
クリスチャンとは、キリストに倣う者の意味。
無理をしなくても、自然とイエス様に倣ってしまう者なのかも知れません。
聖霊様によって…。
by hime-miko
| 2006-11-23 11:36
| ◇光りの音◇