十字架の恵みに…
2006年 11月 13日
私がクリスチャンになってから、四半世紀が過ぎた。
部屋の壁に掲げられた、大きな十字架の前で、毎日デボーションを行っている。
私には、子供が二人いる。
子供達の父親と離婚を決めた時、それでもまだ、不安だった…。
「クリスチャンが、離婚などして大丈夫だろうか。
神様に、背いてはいないだろうか。」と…。
離婚の瞬間まで、祈り、自分の内側と戦う毎日だった。
神様にだけは、背きたくない。
主様の御心に反していたら、どうしよう…。
信仰的な事から、ずっと痛み苦しみ、祈り続けていた。
「離婚は罪」
そんな感覚だった。
主様の御心を尋ね、祈り求めながら、
七転八倒して あがき、苦しみ抜いた末に、やはり離婚を決意した。
そして、この魂を賭けて、全てに償おうと決めた。
人から理解されなくてもいい。
クリスチャンのくせにと、さげすまされてもいい。
その責任は、魂を賭けて、私が負う。
そう決めて、離婚した。
あれから一年。
神様の愛は、私から離れることなく、十字架の恵みに満たして下さった。
離婚を、主が負って下さった…。
今度は、最後の瞬間まで、共に生きる人を、神様は備えて下さった。
一緒に神様を見上げながら、生きてくれる人を。
子供達の良き父親となり、私の最良の夫となる人は、今、断食祈祷に入って、隣で聖書片手に、神様とデートをしている。
私の離婚で苦しませた、私の両親と、子供達からの、祝福と許しを得て、新しい扉が開いた。
イエス様の、十字架の上の、愛に満ちた完成された購いは、
闇に落ちゆく私の魂を、また救って下さった…。
主の為なら、おのれの命なぞ、惜しくはない。
by hime-miko
| 2006-11-13 23:38
| ◇光りの音◇